過去と未来が交差する、成長し続ける街・所沢市

所沢市役所
●所沢市役所

東京都心から25km圏に位置する所沢市は、西武新宿線と池袋線という2つのメインルートによって都心とダイレクトに結ばれた立地にあり、昭和30年代ごろから首都圏有数のベッドタウンとして成長を遂げている。

現在では人口34万人を擁する埼玉県西部の中核都市へと成長、中心部である所沢駅周辺には県内有数の繁華街が広がっており、快適なアーバンライフが実現する環境が整っている。

そんな所沢だが、長い歴史がある街でもあり、そして現在では再開発が進み未来的な街並みが創造されようとしている。いわば所沢は“過去と未来が交差する”街なのである。

倉片人形
●倉片人形

所沢は江戸時代から周辺エリアの交通ハブとして機能し、商業の町として栄えた。

また市の北部では、川越藩主・柳沢吉保による「三富新田」の開発が行われ、ただっぴろい原野が広がっていた所沢は農業都市としての歴史を歩みだした。新田で取り入れられた短冊型の地割りは貴重な歴史的遺産として、埼玉県指定文化財に指定されている。現在ではホウレンソウやサツマイモの生産が盛んであり、特にホウレンソウは所沢の名産のひとつに数えられている。

そんな歴史深き環境ゆえ、伝統的な特産物も豊富だ。所沢は隣接する狭山・入間両市に次ぐ狭山茶の産地として知られている。また最近密かなブームとして着実にファンを増やしている「武蔵野うどん」の本場であり、埼玉県民には馴染み深い「山田うどん」の本拠地でもある。

また所沢では「所沢人形」と称される雛人形つくりが江戸時代から盛んになり、現在も「倉片人形」などの老舗が暖簾を守り続けている。

所沢航空発祥記念館
●所沢航空発祥記念館

明治時代に入ると、国分寺と川越を結ぶ「川越鉄道(現・西武国分寺線と新宿線の一部)」の開設を期に「鉄道の街」としての顔を持ち、大正から昭和初期にかけて現在の池袋線・新宿線が開業、県西部の交通ハブとしての地位を確固たるものにしていった。

また明治期から戦前にかけては陸軍の航空施設が集まる「飛行機の街」としての側面も強めていった。1911年には日本初の専用飛行場である「陸軍所沢飛行場」が開設され、以後「東京陸軍航空学校」や「陸軍航空整備学校」も設置、帝都の防空を担う重要拠点として成長を遂げた。

戦後、所沢飛行場の敷地は「所沢航空記念公園」として整備され、園内には「所沢航空発祥記念館」が建てられるなど、かつてを偲ばせるスポットとして親しまれている。

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